「おなか、すいたな……」 十八歳がぽつんとつぶやく。 「おなか、すいたね。」 十七歳が、やはりぽつんと返した。 朝早く船を降りたときに、突堤の売店でパンと牛乳買って、それからこの夕方まで何も口にしていなかったのに、二人同時にいまさら気づいたのだった。 地下街の、広場に作られた造花の植わった花壇の縁に、つくねんと腰掛けた二人の前を、人々がひっきりなし、忙しそうに行き過ぎる。 冬の日がすとんと落ちて、外が薄暗くなったころからは、行き来する人の流れもより早くせわしなくなってきて、まるで巨大な人の渦の中に、二人だけがつくねんと取り残されているようだ。 「なんか、食べるとこ、探そう。」 意を決したように十八歳が立ち上がる。 「うん、探そう。」 と十七歳も立ちあがった。 十八歳が、足元から「ＭＡＤＩＳＯＮ ＳＱＵＡＲＥ ＧＡＲＤＥＮ」とネームの入った紺のバッグを取り上げて、勢いよく肩にかたげると、十七歳もまた、同じ色と型のバッグを取り上げ、それから、十八歳の顔を不安げに見上げながら起ち上がって、それでも精一杯の笑顔を作って「行こう。」と声をかけた。 十八歳と十七歳は手をつなぎ、地下街を人の流れに乗って歩き始める。 やがて行くと地下駅の改札口があり、そのあたりでは、人の流れが一層激しく錯綜して、脈絡がなくなった。 十七歳が、前から来る人を避けようとしてよろめいて、十八歳は繋いだ手をギュッと強く握って支えた。 十七歳はそのままの形で十八歳の肩に寄り添い、真っ直ぐに前を向いて歩く十八歳の横顔をそっと盗み見て、とても頼もしかった。 ご飯なんて食べなくていいから、ずっとこうしていたいな…… 知らない街でも、この人と二人で、たった二人でこうして歩いて、十七歳は、夢のようだった。「しあわせ」という言葉を、ふと思い出した。 二人は、前日の夜にそれぞれの家を出て、港で落ち合い、船に乗った。 二人とも、もう家には帰らないと決めていた。 照明が落とされた薄暗い二等船室で、十八歳は紺のバッグを枕に、薄いカーペット敷きの床に寝転んだまま、黙って天井を見つめていた。 十七歳も同じようにして寝転んだが、胸が高鳴って眠れない。 ずずと十八歳ににじり寄ると、被っていた毛布の端を、そっと十八歳の胸のあたりにかけた。 十八歳が押し黙ったまま、十七歳に向いてにこりと笑い、毛布を引いて自分も肩まで被り、その中で十七歳の肩を抱き寄せた。 どころんどころんとエンジンの音が、船底の船室にこもって響いて、そのひと唸りごとに故郷から離れるのだと思うと、十七歳は不安でもあったが、一方でまたとてつもなくしあわせで、毛布の中で十八歳のズボンに手を突っ込むと、そのペニスをまさぐって、しっかりと握り締めた。 三日前に、十七歳の家の納屋で、初めて自分の中に入ってきたペニスだった。 十八歳が、「んぐ……」と呻いて、ペニスが勃起した。 十七歳の肩を抱く十八歳の手に、力がこもった。 船は大阪行きだったが、二人は、早朝に最初に着いた港の神戸で降りた。 もとよりあてはなかったが、朝霧の中、背後の山と海の間に窮屈そうにうずくまる神戸の街を見たとき、こんなに「こじんまり」とした街なら、「なんとかなるかもしれない」と決心した十八歳が、「ここで降りよう。」と宣言して、二人、赤いタワーのある突堤に降り立った。 突堤の売店で買ったパンと牛乳で簡単な食事を済ませ、それから二人は歩いた。 ほとんどの店がまだシャッターを降ろしたままのアーケードを抜け、鉄道の高架をくぐって坂道を上った。 坂道を、山の麓まで上ったところで振りかえると、今さっき自分たちが降り立った突堤のタワーが見えて、その先に港の全景が見渡せた。 ようやくに目覚めたらしい街の咆哮が、地響きのように坂の上まで駆け上がってきて、どこかの船の鳴らす汽笛が、それに「ボオ」とかぶさった。 それから、二人はまた歩いて……歩いて……駅から電車にも乗った。 慣れない自動販売機で、どうにか１区間の切符を買い、電車に乗った。大阪を過ぎて、京都まで行って電車を降りた。 京都は、二人が通っていた九州の高校では修学旅行先だったが、二人ともに修学旅行には行かなかったので初めてだったけど、改札からは出ないで、また反対方向の電車に乗った。 十七歳は、車窓から新幹線が見えた、と言ってはしゃいだ。 戻りの電車には、その年ちょうど大阪で開かれていた「万博」のマークのついた帽子をかぶった人たちがいて、十八歳は、ふとその博覧会のことを思い出し、「行くか？」と十七歳に尋ねたけど、十七歳は、少しはにかみながら、「いらん……」と答えたのだった。 十七歳は、車窓から見えるあれこれにいちいち反応しては、「あれはなに？」、「あれは？」と尋ねては十八歳を戸惑わせながら、その電車の終点の姫路まで行って、改札は出ずにまた反対方向の電車に乗った。 見覚えのあるタワーが見える、船を降りた街まで電車が戻ったところで、「どっ」と降りる人波に押されるようにして、「三宮」という駅で降りた。 それから二人は、またあてどなく歩いた。 きらびやかな洋品店のショーウィンドウに、いちいちうっとりする十七歳を、そのたびに引き剥がしながら、十八歳はそんな十七歳を、とてもいとおしく思いながら、「いつかな……いつか……」とほとんど自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、あちこちを歩いて、やがて疲れて地下街の花壇にしゃがみこんだ二人なのだった。 錯綜する人波に翻弄されながら地下街を歩いていくと、その地下街の中で飲食店ばかりが並んだ一角に出た。 両脇には、どれを見てもおいしそうなサンプルケースが飾られていて、二人はいちいち立ち止まっては眺めながら歩いて、通路の中ほどまで来た。 サンプルのショーケースのない店があった。 ラーメン屋らしいその店は、正面にガラス張りの部屋があって、中で職人が麺を打っていた。 台の上でこねくり回されていた生地のカタマリが、職人に取り上げられ、両手で左右に延ばされる。 打ち粉をつけて折りたたんだそれを、職人がまた延ばす。たたむ、延ばす、たたむ、延ばす……を繰り返すうち、小麦粉の生地の固まりから、みるみる細い麺ができあがってきた。 惚けたように立ち止まったまま、その魔法のような作業を眺めていた二人だったが、やがて、十八歳が十七歳に向き直り、「これにしようか？」と訊ねて、十七歳が「うん！」と答えた。 おずおずと店内に入った二人を、「らっしゃい！」と威勢のいい声が迎える。 ガラスの作業場の奥の調理場を囲むように、コの字に設えられたカウンターにかけて、二人、あたりをキョトキョトと見まわした。 「ラーメン 二五〇円」、「チャーシューメン 三五〇円」、「タンタンメン 三〇〇円」 壁に大きな紙で貼られたメニューは、その３種類だけだった。 「ご注文は？」 水の入ったタンブラーを二人の前に置いた白衣の若い男が、ひどく勢い込んで訊ねる。 「え……えーと、タンタンメン……」 壁のメニューに目を泳がせながら、十八歳おずおずと答えると、隣の十七歳は無言のまま右手に「チョキ」を作って差し出す。 「あいよ！タンタンメン二丁！」 「ね、タンタンメンて、なに？」 注文取った店員の目が、あっちに向くのを確かめてから、十七歳が、十八歳の耳元にそっと訊ねた。 「知らない……」 十八歳は、三種類あるメニューから、単に値段が「ちょうど真ん中」を選んで注文しただけなのだった。 どっちにしてもラーメンの一種だろう、との当てずっぽうだった。 そもそもが、そのラーメンにしても、十八歳も十七歳も、インスタントの以外を食べるのは、今日が初めてなのだ。 二人の町には、ラーメン屋なんてなかったし、どころか二人とも、外の店で食事をする、というのが、今日のこのときが、生れて初めてなのだった。 「お待ち！」 程なく二人の前に差し出されたそれは……周りの客の食っているものとは、かなりかけ離れたシロモノだった。 丼ではなく、深めの皿に盛られたものは中華麺だが、スープはなく、麺の上に挽肉を味噌で混ぜたような餡がかかっている。 二人、顔を見合わせた。 「た……食べよ……」 十八歳が箸を取り、餡と麺をひと混ぜしたものを口に運ぶ。 十七歳も、それに倣った。 辛い…… ひと口飲み下した後から一拍おいて、唐辛子の刺激が、喉から舌にのぼってくる。 慌ててタンブラーの水を飲んだのは、二人同時だった。 二人、また顔を見合わせた。 十八歳が、無言で頷き、十七歳も同じく頷き、それから、二人とも黙々と麺と水とを交互に口に運んだ。 汗を拭きながら店を出た。 「……うまかった？」 地下街を歩きながら、不安そうな表情で、十八歳が十七歳の顔を覗きこんだ。 十七歳は、ホントを言うと、辛くてなんだかボソボソしてて、味なんかわからなかったが、 「うん。おいしかった！おなかいっぱい。」 笑って答えた。「おなかいっぱい」は、本当だった。 「そ……そうか。良かった……でも、辛かったな。」 「うん。辛かった！」 十七歳が笑って、十八歳も笑った。 地下街の往来は、さきほどよりも人が多くなっている。 目に付いた階段を上がって、地上に出た。 街は、灯りでいっぱいだ。 冷たい風が吹き抜けていたけど、二人ともに不思議と寒さを感じない。むしろ、風が心地よかった。 「今度は、寝るとこ探さないとな。」 「うん。さがそ。」 十七歳が、十八歳の腕にしがみついた。 二人そのまま寄り添って、十八歳と十七歳は、夜も明るい街の人波の中に、少し揺れながら紛れていった。 （完） |
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