烏書房（連載）

掌編小説

スーパーマンはドテ焼きが好き

太郎吉野

１９５６年神戸市生まれ。日本大学卒後、東京で某作家の（無能な）秘書としての会社員生活の後、１９８８年、神戸市に書店「チャンネルハウス」を開業も、経営の才無く１２年で幕（涙）。しかしなお「本屋」への未練断ち難く、２０００年７月、無謀にも再び神戸・元町に「烏書房」を開店もまた閉店。
「金」にたたかれ「金」に泣く日々を（性懲りもなく）続けるビンボ人。ああ、お金が欲しい。

「旧作」だけど、
若干の手直し加えたのだった。

　「じゃあっしゃい！なんじゃい！人が、えーえ、気持ちでオメコの夢見とんのに……」
　「……いや、け、けンど、ハチやん……、そ、それ……！」
　泡食うたまま、ボクはハチやんの背中の下を指さした。
　浮いとった。確かに、寝穢うに寝そべったままの姿勢で、ハチやんの体は地上約五〇センチの空中に、ぷかりと浮いとった。
　「あ？……おう、なんや、またかいや……」
　ちらと下を見下ろしたハチやんが、マタグラぼりぼりかきながら、面倒臭そうにつぶやくと、浮いていた体は、すすす、と降下して、元の養生シートの上に納まった。
　昼食後の休憩時間の残りを、夏の強烈な日差しの避けられる思い思いの場所で、皆して午睡しとる時やった。
　「なんやハチ、また飛んどったんかいや。」
　「ははっ、ハチ公、また天井に頭ぶつけて落ちんなよ。」
　通りかかった鉄筋工の二人に、「じゃかっしゃい！」と、枕代わりの「シティ・ヘヴン」投げ付けて、あっけに取られてあんぐり口開いたままのボクの顔を、「どないしたんぞい？」と、ハチやんは不思議そうに覗き込んだんや。
　半年前、勤めとった中古車ディーラーが倒産して、再就職もままならんうち失業保険も切れて、焦ったボクは、工務店を営む伯父に泣きついて、「ウチかって、シロート雇うとるような余裕ないんで。」と、サンザンの嫌味と愚痴聞かされてから、不承不承に、せやけど盛大に恩だけは着せられて、アルバイトとして雇うてもろた。
　ハチやんは、ボクよりちょっと前、このビルの現場に入る時に雇われた、渡りの鳶やった。

　「アホか、お前は。それが何になるんじゃ。クソの役にも立たんわ！どこぞの姉ちゃんが、タダでオメコさしてくれるワケでもなし……」
　ジョッキの梅チューハイを一気に流し込んで、不精ヒゲの口元手でぬぐいながら、ハチやんが言うた。
　「いや、けど、好きなとこへ、好きな時に飛んでいけるワケやろ……？」
　「せやから、アホやちゅーんや、お前は。そんなモン、歩いて、電車乗った方が早いに決まったァるやんけ。なァ、姉ちゃん。梅チュー、お代わりな。……あ痛っ！」
　ジョッキを受け渡した刹那に、アルバイトの茶髪娘のお尻撫でた手ェ、思いきりつねり上げられて、ハチやん悲鳴を上げる。
　「おー痛ァ……なンさらすねん、ドブスが……」
　赤ォなった手の甲さすりながら、ハチやんが語るところによると、どうやら飛び上がっても上空ではひたすら風任せで、「推進力」ちゅーんがないらしい。
　「そら、扇風機でも担いで浮いとりゃ、前に進むんやろけどな。けど、お前、そんな間抜けなこと、でけるかい。アホらしもない。」　「けど、真上に上るだけでも、今日の現場なんか……」
　「クレーンも要らん、言いたいんやろけどな。俺は浮かべても、鉄骨は浮いてくれんので。」
　ハチやん、片手で串カツをほお張り、もう片方の手でさっきの茶髪娘から、今度は警戒されて、精一杯遠い位置に差し出されたジョッキを受け取る。
　「おう！姉ちゃん、こっちのドテ焼き、まだかいや。早よせな、姉ちゃんのドテ、焼いてまうど！」
　ダミ声で性懲りもなくからかいながら、「ぐひひ……」と笑うた。

　ハチやんが自分の能力に気づいたのは、小学生のころや。
　ハシカで高熱を出して寝とる時、いきなり、「ふわり」体が浮き上がったんやそうな。
　「そら、お前、ハジメはべっくりしたわいや。もう、怖ァて、おとろしゅうて、ションベンちびりそうで、実際、ちびったど。」

　それからも度々、ふと意識が「遠～くの方ォ～」へ行くと、体が浮き上がることがあって、それらの体験と自分なりの工夫と訓練で、中学生の頃には、どうにかこの「浮揚」を制御できるようになったんや。
　だがしかしせやけんど、この能力は、実生活には何の役にも立たんかったんや。

　その気になったらビルの十階くらいには、楽に飛び上がれた……が……
　「それで、何するんぞ？泥棒か？」
　銭湯の明り窓から、女湯が覗けた。が……
　「すーぐ、ポリに見つかってのォ……、交番所連れこまれて、きっつ～～～いお仕置きじゃあ……」　　　　　　
　中学を出たハチやんは、迷わず鳶の親方の門を叩いた。
　「けどまァ、おかげで、これまで足場から落ちたことは一回もないけどの……」
　そういう意味では、まさに天職やったんやな。

　「ぷふォォー、飲んだ飲んだ、食うた食うたァ。」
　駅前の居酒屋を出ると、両腕上に伸ばしながら、目の下猿みたいに赤ォしたハチやんは、
　「グゥェ～～ップ！グェ～～～……ほう……」
　やたらとでかい「ゲップ」を、辺りはばからず繰り返す。
　「さあ、明日は休みやしのォ。わしらの夢は夜開くやど。行くか？おまえも。」
　「どこへ？」
　「あほォ、酒と飯が済んで、明日はお休み、いうたら、オメコに決まったァるやんけ。」
　会社の寮に戻って着替えてから、「女郎屋に繰り出す」て言うハチやんの誘いは、丁重に断った。
　「なんや、つまらんのォ。ほなら、君は一人でヘンズリこいてなさい。わし、行く。」

　「バイバイ」と手を振ったハチやんが、ちょうど駅から吐き出されて来た勤め帰りの人々に混って、フラフラと歩き始める。
　「……オメコはなんっにも、言わないけれどォー、オーメコォのきもっちィはー、よーくわーかるゥー……」
　ダミ声でがなり立てる卑猥な替え歌にギョッと振り返る、周りのサラリーマンＯＬ学生さんの視線も一向意に介さず、ニッカボッカーの裾ひるがえし、夜の中に紛れていくハチやんは、上機嫌の千鳥足で、その地下足袋の足元が、時々、「ふわっ」と空中に浮いとったんや。　　　（了）

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