八月もお盆を明日にむかえると言う暑い暑い日の夕方、おっさんがドタドタと足音も騒がしく帰ってきた。ドアを開けて入るなり「なえちゃん、東京に行こう！」と言う。 なんのこと？と思ったら、さっき7万円拾ったと言う。見ると本当に汚いポーチにおりたたんだ一万円札がある。 「へーっ、でも警察にとどけなくていいん？」と、いちおう言う。 「いい、いい。どうせ落としたやつが悪い。明日行こう、休みだし。」と、おっさん。 ふーん。いいんだ。そうか、ならいいか、と自分にお許しを貰った。 だけど、どこに泊まるのか、と言うと、２年前まで東京の武蔵野に住んでいて、口を開くと聞いてもいないのに話し出す癖があるおっさん、友達のところがある、と、もうルンルンで地図など開きながら言う。そうか、それなら行くか。 東京には一度いってみたかった場所があるし。 どこに？と訊くので、新宿、ト即座に答える。 そう、新宿、西口、紀伊国屋。風月堂。かの、いーさんが書いた田舎の炭坑から出てきた青年があるいた街。才媛の娼婦のカオルさんと、お茶した店。ナツコが、待ち合わせした紀伊国屋書店。（でも私は、決してファンと言うほどじゃありまへん） ここは、絶対はずせないスポットなのよ。 へぇ、ならいこうか、と気のりしない様子の、おっさんと車で延々と東へ走り、その晩は、えげつなく汚い友達の家に泊まり、暑さと睡眠不足と疲れで、段段口数の減っている私は、また別の恐ろしく狭いＭ美の寮に行き、画家を目指して何十年の友達に会い、そこでしばし話してからやっと新宿へ行く。 ああ、しかしなんと言うことだ。私は貧血になり、おまけに人の多さに酸欠になるダブルの悲劇。紀伊国屋の前に行く頃は、たおれんばかりのありさま。中に入る気力も無く、座る為入った店は風月堂じゃなく、おっさんのなんたら言う絵が良い、と頻りにいう中村屋。 そのテーブルびしびしに並べた地下の喫茶には、その絵が無い。 たしか少女の絵があるはずなのにねぇ。 おい、あんたほんまに来たことあるんかい。思わず大阪弁で叫びたくなる衝動を押さえ、味も忘れたアイスコーヒーを流し込み、ああもう早く神戸に帰りたい。 東京は、しんどい。と強く感じた新宿なのであった。 了 |
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