クラブハウスの中は、ごった返していた。 大きなコンペが入っているのだろう。フロント前には長いチェックインの行列が幾つも出来ている。エントランスに次々と横付けする高級乗用車からは、恰幅のいい紳士たちが続々と降りて来る。色とりどりの服装に身を包んだ老若男女の声と足が交差して、ロビーのぶ厚い絨毯の上は、まさに街の雑踏、喧騒のようだ。 喧騒の中、俺は静かに立ち上がった。フロントにいる従業員と目を合わせないよう細心の注意を払いながら、しずしずとロビー奥のトイレの方へ向かった。 広い清潔な男子トイレ内は、明るい照明に満ちていた。綺麗に磨かれた洗面台の前で、年配のおばちゃん従業員が、まめまめしくミニタオルの交換作業をしている。 「皆様、おはようございます。―――おはようございます。―――おはようございます」 まん丸顔にどんぐりまなこが愛くるしい、灰色の清掃係の制服のそのおばちゃんは、トイレにやって来る客一人一人に、やたら丁寧にその小さな背中を折るのだった。 「うん。おはよう」 「客」の俺も、鷹揚に挨拶を返してやるのだった。キャップを脱ぎ、シューズの踵を引きずらないようにして堂々と胸を張り、ゴルフを当たり前にプレイしに来た普通の紳士の顔をする。 そんな紳士が不浄の手を拭くミニタオルを、おばちゃんは、一枚一枚丁寧に積み上げて行くのだった。使用済みのタオルも、けっして丸めて放り投げたりせず、きちんと畳んで籠に仕舞い込んでいる。 純粋に、ここは気持ちのいいゴルフ場だなと、俺は思った。末端の従業員にまで、しっかりした接客教育がなされている。今までいろんなゴルフ場を渡り歩いて来たが、このおばちゃんみたいな清々しさは、あまり拝見した事はない。 でも、それとこれとは別だよと割り切って、俺は開いている大の方のトイレをひとつ見つけて、ドアを閉めた。 ズボンを下げずに、便器にそのまま腰を降ろす。ポケットから手袋を取り出す。手袋といっても、市販の安いゴルフグローブだ。そして、ゴルフ場では、手袋を嵌めてこそこそ歩き回る人間がいても、誰もそれを怪しんだり咎めたりしない。 俺は、さらにポケットの奥から、いつものモノを取り出した。俺の仕事の大切な「小道具」だ。スイッチをカチリと入れて、さらにいろいろな下準備を行う。そうやって出来上がったその小さな「装置」を、ゴルフグローブを嵌めた自分の左手の掌の中に握り締めた。 よし、と声に出して気合いを入れ、俺はトイレのドアを開けた。 すぐ目の前に、どんぐりまなこの顔が立っていた。モロにぶつかりそうになって、うおおおっとたたらを踏んだ俺は、思わず声を荒げてしまった。 「ちょ、ちょっと！ 何だよッ？ おばちゃん」 「あれあれ、あれえ。すみませんです。お客様、申し訳ないでございます。私、ちょっと、ここを掃除しようと思ってたもんで。ボケッとつっ立ってたもんで。ごめんなさいまし。まことにごめんなさいまし」 おばちゃんは、小柄な体を何度も何度も折って頭を下げた。言葉と声は萎縮してしまったが、でも、その目と顔は、すこぶる無邪気なまん丸のままだった。 俺は何も言えなくなってしまい、小さく舌打ちだけを床に吐いた。おばちゃんのそのつぶらな瞳にいつまでも見つめられていてはまずいので、先を急ぐ事にした。 俺の足は、厚い絨毯敷きの床を大胆に進んだ。目指すのは、ゴルフ場ロビーの一隅にある貴重品預かりコーナーだ。そこには、黒くて四角い箪笥みたいな自動ロッカー機が何台も置かれてある。 ゴルフ場の貴重品ロッカーというのは、現金入りの財布やカードや車のキーといった小物類を格納する、暗証番号式の電子キーの保管庫である。機械の面に、１５センチ四方のステンレス扉が縦横に何十個も並んでいて、盤面の中央にある窪みの部分に、入力タッチパネルとロッカー番号レシート発行機がある。客はタッチパネルに任意の番号をインプットする事で、自分の選んだロッカーの扉に鍵をかける。手軽でけっこう安全性が高いセキュリティ施設なので、ゴルフ場に来た客の多くがこれを利用している。 実を言うと、昔は、暗証番号を入力する人のすぐ後ろに忍び寄って、肩越しにその番号を覗き見する輩がいた。いわゆる『カンニング』と呼ばれたコソ泥である。そうやって、盗み見した暗証番号で人のロッカーを開けて、中の貴重品を根こそぎ持って行くというゴルフ場荒らし事件が、各地で多発した。 『カンニング』の跋扈に手を焼いたゴルフ場側は、電子キーの暗証番号が盗み見されるのを防ぐべく、エチケットマスクなる目隠しの覆いをタッチパネル上に取り付けた。プラスチック製の箱型のもので、大切な暗証番号を入力する手元を、左右や後ろの他人の視線からブロックしてくれる。 そして、この防犯水際作戦は、かなり成果を上げたようである。そのプラスチック製のエチケットマスクのおかげで、『カンニング』は成功率が一気に激減した。ゴルフ場の治安はみるみる回復し、世の小金を持った凡人連中は、安心してのびのびとゴルフを楽しめるようになったというわけなのだが――― 「ふふん。石川や、浜の真砂は尽きるとも―――ってか。昔の先達はいい言葉を残したよな。」 俺は、白々しく「客」の顔を装いながら、一台の貴重品ロッカーの前に立った。 まず、目立たないようにゆっくりと深呼吸をした。それから息を詰め、ゴルフグローブを嵌めた左手を前に差し伸べた。タッチパネルを覆うそのエチケットマスクの下に差し入れた。そして、素早く指先を動かして、ある「設定」を行った。「設定」といっても、ほんの２秒足らずで済むような作業だ。 さらに、その同じ左手を使って、ロッカー番号と暗証番号を入力する。そのタッチパネルは、電卓のキーボードとほぼ同じ配列だ。７８９、４５６、１２３、０の数字が縦横に並んでいる。俺は、空いてるロッカーをひとつ選んで扉番号を入力し、続いて、まったくでたらめな適当な数字を暗証番号に打ち込んだ。 やがて、ロッカーのひとつが、小さな電子音を吐いて扉を開けた。俺は、あらかじめ用意しておいた空のダミーの財布を、その中に放り込んだ――― 俺は、堂々と胸を張って、大股でその場を離れた。ロビーを突っ切り、ソファベンチがある喫煙所へ向かった。 腰を降ろし、タバコに火を点ける。ポケットから携帯電話を取り出した。 呼び出し音に続いて、液晶画面に写メールの配信画像が出て来た。 幾つもの数字が縦横に４列並んでいる。―――７８９、４５６、１２３、０―――おお、まさにそれは、俺がさっき操作したあの貴重品ロッカーの、暗証番号入力タッチパネルそのままの映像ではないか。 種明かしをしよう。つまり、こういう事だ。俺は、あの貴重品ロッカーのエチケットマスクの裏側に、ある「装置」―――盗撮カメラを仕掛けたのである。秋葉原の部品屋で仕入れた、覗き見マニア向けの豆粒大の超小型高性能ＣＣＤカメラで、セロハンテープを使って、エチケットマスクの箱型の内側天井部に逆さに貼り付けてある。誰にも見つからない絶妙の位置で、しかも、レンズの視線はしっかり真下のタッチパネルの画面を捉えるように向けてある。そして、それは極小バッテリーで約１時間駆動し、捉えた映像は、リアルタイムの動画モードで電波に飛ばしてくれる。映像は一旦、駐車場に停めた俺の車に残したパソコンに送り、そこから、俺が今手に持っている携帯電話に、写メールのムービー配信で転送する。 つまり、エチケットマスクで安全に目隠しされたはずの暗証番号入力の手順が、文字通りその裏の裏をかかれて、離れた場所にいる人間に、丸見え筒抜けでライブ中継されるいう筋書きだ。 「そういう事。この俺は、創意に工夫を重ねた稀代のトリックプレイヤー。いや、気持ちは大きく持って、２１世紀のハイテク・ルパン。いやさ、ハイテク・石川五右衛門ってところよ」 俺は胸を張った。悪党には悪党なりの矜持というものがあるのだ。そういえば、ちょっと以前に、「セイント」という洋モノの映画を見た事があった。あれに出て来た主役のイキな怪盗、実にカッコ良かったな。女にモテモテで、見事な七変化もやってたし――― この五右衛門様だって負けちゃいねえぞ―――そんな自信満々の大泥棒の掌の中で、自慢の秘密兵器は、さっそくホットなライブ映像を送って来た。携帯電話の液晶画面の中に大きく浮かび上がった人間の指が、タッチパネル上の数字をあれこれ押し始めた―――さあ、来た来た。さっそく来た。カモが網に掛かって来たぞ！ 俺はメールを読む振りをして、携帯画面を顔に引き寄せた。同時に、さりげなく視線の先を振って、ロビーの向こう、盗撮カメラを実際に仕掛けてある貴重品ロッカーの方を観察した。 最初のカモは、まだ童顔の若い男だった。流行の派手色のブランドシャツを誇らしげに着た色黒の奴が、貴重品ロッカーのタッチパネルの前で馬鹿面して立っている。神経質な性格らしく、膝から下がしきりに貧乏ゆすりを繰り返している 俺は手元の携帯のムービー画像に目を戻した。盗撮カメラがライブで捉えたこの男の人差し指は、自分のロッカーの暗証番号を「３６３６」と打ち込んだ。よくある例だ。世間一般の平均的ゴルファーに多い。ＩＮとＯＵＴのコースを共にパープレイの｢３６｣で回りたいという、儚い夢ばかり見ている俗物だ。 こいつは「スカ」だな。俺は即座にそう判断した。顔が陽に焼けているのは、ゴルフに行く回数が多いからだろう。見栄っぱりで、イケイケ路線が身上で、どこかの会社の第一線の営業マンといったところか。プレイ費は会社持ちだが、持ち出しの出費も多く、実際はいつも懐がピーピーといったクチだろう。こんなチンケな若造のなけなしの金を巻き上げるのは、俺の美学に合わない。 俺は、その派手色ブランドシャツと「３６３６」の暗証番号は、あっさり無情に切り捨てる事にした。 次の奴。―――タッチパネルにひとつひとつゆっくり打ち込む暗証の数字は、「７１４１」――ナイスイン――。うう、ちょっと苦しいけど、まあいいか。 当の本人を見てみると、３０前後の背の高い男。半袖シャツからはみ出た二の腕は筋肉隆々で、いかにも飛ばし屋といったタイプ。だが、着ているウェアや履いてるズボンを見れば、所々擦り切れて皺がよっている。ただし、履いている靴だけは、年季物だがしっかりした物を使っている。 推測するに、彼は、ツアーにも出られない万年レッスンプロか何かか。腕はいいが、ツキには見放され、経済的にはあまり余裕が無い草の根夢追い人のひとりなのかもしない。 この男の、家でおそらく待っているであろうパート勤めの妻や幼な子を泣かしてしまっては、寝覚めが悪かろうと、心優しい俺はついつい考えてしまった。したがって、この人生のナイスインを望むささやかな「７１４１」も、今回はパスという事にする。 ３人め――― おおっ、来た！ 来た来た。やっと来たぞ！ いよいよ真打ちのご登場だッ！ せかせかした足取りで貴重品ロッカーの前に進み出たのは、でっぷりした下膨れ腹。酒焼けに陽焼けがブレンドされて出来たような見事な赤ら顔。落ち着きが無く、首をコキコキ鳴らす動作がいかにも下品。―――これぞ、典型的土建屋タイプのクソオヤジ！ 見るまでもなく、着ているファッションも当然ダサいが、それより何より、クソオヤジが今手に持っている財布は一流ブランド物。しかも、それはやたらブ厚くて重そうだ。クレジットカードや小銭だけでは、絶対にそれだけの厚みは出ない！ 俺の携帯の液晶画面で、オヤジの無骨な指がちょんちょんとタッチパネルを叩いた。その番号は、「９９８１」。―――ただの掛け算九九の語呂合わせを使ったのだろう。覚えやすい実用本位の番号というわけか。実に安易だ。本人の性格というか、価値観や行動パターンを如実に表している、まさに言い得て妙の暗証番号だと思った。 俺はゆっくり腰をあげた。その土建屋オヤジが「９９８１」の暗証番号と一緒に入力したロッカーの扉番号は、しっかり頭の中に入れた。失念しないよう、万一のためにメモにも残した。メモの用紙は、いつもそれぞれのゴルフ場のスコアカードと鉛筆を使って書くようにしている。もちろん挙動不審で怪しまれないための方便だ。 俺は、本日の「お宝」として狙いを定めたそのでっぷりした尻を追った。ロビーを出て、一緒にキャディマスター室の方向へ向かった。 「お宝」のゴルフのスタート時間は、ぜひ事前に確かめておかねばならないのだった。こちらの仕事をしやすくし、かつ逃走の際の時間稼ぎのためにも、この確認作業だけは絶対に欠かせない。「お宝」が一旦コーススタートしてしまえば、後はそいつが午前中の９ホールを終えるまでの間、貴重品ロッカーの扉は誰にも開けられる事はないのだ。そう、このハイテク怪盗の俺様以外には――― やがて、赤ら顔の下膨れオヤジは、キャディマスター室の前で、仲間らしい似たようなオヤジ連中と合流した。品の無い高笑いが神経を逆撫でする中で、俺は必要情報だけを収集する事に努めた。 「ガハハハハ。よっ、おはよっ。おおう、ヤマちゃん、今日はピンピンのピンで行かせてもらうど」 「ありゃあ、そりゃねえっぺよ。大沢さんよ。ちょっと勘弁しろや。せめてピンピンまでにしてちょうよ。ガハハ」 「何言ってんだや。こないだはゴンゴンむしり取ったくせしやがってよ。ガハハハハ。まあいいか。ところでよ、ヤマちゃん、ワシらの組のスタートはＩＮからだったっけか。ＯＵＴからだったっけか？」 「――ああ。ＩＮからだで。あと３０分もあるでよ」 「そんじゃ、そうだな、少しパターの練習でもするっぺかい？」 「そうだな。ちょっくら行ってくべえ。そうだ、そういや、今日一緒に回る箱崎の爺さん、オリンピックやるやるって、さんざ喚いてたかんな。ワシら負けられんでよ。ガハハハハ」 オヤジたちは、手に手にパターを持って、練習グリーンの方へ歩き出した。俺も、あらかじめダミーで用意していた自分の安物パターを持ち、ゆっくりとその後を追う。 それから暫くの間、俺は練習グリーンの上で白々しく球を転がし続けた。土建屋オヤジたちの耳障りなバカ笑いに耐えながら、奴らの下手くそなパットラインを隣で眺め、じっと時を待った。 そして、スタートの呼出しを告げるアナウンスがようやくあって、バカ笑いの声が三々五々動き始め、それがＩＮコースのスタートホール方向に消えて行くのを見届けると、俺は即座に行動を開始した。 俺はクラブハウスのロビーに戻り、貴重品ロッカーの所へ急いだ。スコアカードのメモを見るまでもなく、頭の中に叩き込んでいた「お宝」のロッカーの扉番号と、例の安直な掛け算九九番号は、すぐに俺の左手の指先に伝わった。 素手のままの右手の方は、一切使わない。犯罪者は指紋を現場に残すわけには行かない。使うのは手袋を嵌めたこの左手のみだ。 やがて、あの赤ら顔オヤジが指定したロッカーの扉が、ピッと電子音を立てた。 「ビンゴ！」 俺は手を伸ばし、扉の奥にあったぶ厚い財布を素早く取り出した。そしてさらに、タッチパネルのエチケットマスク内の小型盗撮カメラを引き剥がし、手の中に丸め込んだ。 この間数秒。まさに努力と鍛錬の技か。この「ビンゴ」の歓喜の響きを聞く度に、俺は恍惚のあまり射精しそうになる自分の股間を、ついつい押さえてしまうのだった。 でも、そうこうしている時間はない。後は、さっさと現場を離れるだけだ。大丈夫、他の誰も俺の態度を怪しんでいる者はいない。 駐車場の片隅に停めた自分の車に戻った俺は、ドアを閉め、シートにもたれてホッとひと息ついた。助手席の上で、今までずっと俺の携帯に画像を送り続けてくれていた愛用のノートパソコンのスイッチを切った。 タバコを取り出し、本日一番の上手い一服を味わう。そして、俺はさっそく、本日の「お宝」を広げてみた。 狙い通りのドンピシャだった。赤ら顔の土建屋オヤジの財布の中は、案の定、万札がぎっしり唸っている。しかも、クレジットカードだけでなく、免許証や名刺まで入っている。これはいろいろ使い道がある。上々の首尾だ。今日は実にツイてる。 俺は紫煙を勢いよく吐きながら、高らかに笑った。と、そこへ、車のドアをいきなりノックされて――― 「ゴホッ！」 俺は思わず咽てしまった。 運転席の横に、いつの間に忍び寄ったのか、人が立っていた。灰色の制服を着ている――― 「ちょ、ちょっと！ 何だよッ？ おばちゃん」 俺は、声を荒げてしまった。 どんぐりまなこのおばちゃんは、小さな背中を深々と折った。 「あれあれ、あれえ。すみませんです。お客様、まことにごめんなさいまし。いや、私、忘れ物をお届けにあがったんです。これ、これなんでございますけれど」 にゅっと手を突き出して来た。おばちゃんが開いた掌の上、確かに見覚えのあるものが―――セロハンテープ。 「し、しまった！」 俺は思わず舌打ちしてしまった。細心の注意を払ったつもりなのに、「小道具」のひとつを置き忘れてしまった！ いや、違う。落としたのだ！ トイレから出た時、おばちゃんとぶつかりそうになって、うっかりポケットから落としてしまったのだ！ まずい！ これは、まずい！ まさに一生の不覚――― 焦る俺に、おばちゃんは、手をぐいと突き出して来た。 「これは、お客様のものでございましょう？ 私、トイレを掃除してて見つけたんですけれど。これ、お客様のものでございましょう？」 まん丸顔の中の丸い目が、ぐいぐいと有無を言わさず大きく迫って来た。 「お客様のものでございましょう？ え？ お客様のもので間違いありませんでしょう？」 俺は仕方なくウインドウを開け、セロハンテープを受け取った。 「あ、ああ。こ、これね。これ。そうそう。うん、これ、確かに俺のだわ。うん。い、いやね、これはコンペの表彰式で順位表なんか張るのに使うんだよな」 苦しい言い訳とひきつった声が俺の口から出た。「そ、そう。わざわざ届けてくれたんだ。いやいや、これはこれは。どうもありがとうね。おばちゃん」 だが、おばちゃんの手は引っ込まなかった。そのまま、掌を上に向けて、ぐいぐいぐいっと車内に伸びて来た。 「な、何？ この手は？ おばちゃん―――」 それに対し、それまで丸かった目を初めて三角に歪めて、おばちゃんは言った。 「すみませんでございます。お客様―――」灰色の制服の小さな背中がクスクス揺れた。「半分でいいんでございますよ。―――私、黙っててあげますから」 俺は大きく溜息をついた。 観念し、ぶ厚い財布に手を突っ込みながら思い出した。あの昔の偉大な先達が詠んだ言葉の続きを。 「―――世に盗人の、種は尽きまじ。ってかい。くそっ！」 （完） （この作品はフィクションですが、実際にあった事件をベースにしています） 上に戻る 「文芸からす」表紙に戻る |
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