| 最終電車が発車して、もう一時間以上になる。その時刻、駅周辺にはまだ、かなりの人影が蠢いていた。ほとんどが若い男女だ。数人ずつ植え込みに座り込み、他愛のない冗談に笑い声を立て、携帯電話を手に話し込み、閉じたシャッターの前で演奏する少年のギターに合わせて合唱する少年少女たち。 冷たい空気に満たされた広場は、彼らの王国だった。 少女が一人、広場をぶらついていた。黒いダウンジャケットに黒のミニスカート、膝下までの黒いブーツ。大腿と顔の白さがよけいに目立った。 「おい、ヨリ」 声に少女が足を止めた。 「あ、探してたんだ」街灯の横に佇んでいる男に、少女が駆け寄る。 「ガンジャか？」男の右の小鼻で、ピアスが街灯の光を反射した。 「スピード。ある？」少女が訊ねた。 「あるけどよ、金あんのかよ」革ジャンのポケットに両手を突っ込み、足踏みしている。 「寝るからさ、ね？」男の肩にしなだれかかった。 「俺ぁ、もういい」 「なんでぇ？」男の顔を見上げた。 「立たねえ、最近」 少女が噴き出した。 「シンナーなんかやってっからだよ」男を肘で突いた。 「ばーか。シンナーは奥がふけえんだ」すきま風のような笑い声を漏らした。 「ね、売って？」 「金」 「相手紹介してよ。寝るから」 「あのよ」少女を見て、口許を緩めた。歯茎が黒ずみ、乱杭歯が隙を空けて並んでいる。 「お前、マッチ売りの少女って知ってっか？」 「童話？」 「じゃなくてよ。俺、中坊んときに読んだ小説。野坂昭如っておっさんが書いたやつ」男がしゃがみこんだ。 「そんなの知んないよ」少女も隣りにしゃがむ。 「マッチいりませんかーって、男に近づくんだ」 「うん」 「でな、一本五百円で売る」 「誰が買うんだよ」 「あのな、マッチ一本燃える明かりでな、股ぐら見せるんだ」 「バッカみたい。それだったら金溜まんのに朝んなっちゃうじゃん」 「だからよ、股覗いたぐらいで満足しねえようなの狙うんだ」 「いる？」 「あっちによ」男が目を向けた方向を少女も見た。 「白いコート着たリーマン、いんだろ？」 「うん」 「もう一時間くれえよ、ぼーっとしてんだ。誘ってみろよ、試しに」 「乗るかな？」 「スピード、欲しいんだろ？」 「やってみっか」少女が膝に手を置き、立ち上がった。 「パンツ脱いどけよ」 少女は片足ずつ挙げて、器用にショーツを脱いだ。 「持ってて。ここ、ずっといる？」 「ああ、たぶんな。商売の最中だし、寝らんねえし。おい」呼び止めて、ショーツを仕舞いこんだポケットから手を出した。 「マッチ」 「サンキュ」ブックマッチを受け取り、少女はサラリーマンに向かった。 少女はサラリーマンの前に顔を突き出した。「おーじさん」 声を掛けられたサラリーマンは、ぼんやりした瞳を少女に向けた。細面で、メタルフレームの中の瞳が充血している。 「ひとり？」 少女に問いかけられて、男は眼を数度瞬いた。 「おじさん、マッチいらない？」少女がブックマッチを差し出した。 「僕、莨は吸わないの。それに」サラリーマンの言葉を少女が遮った。 「マッチ一本五百円でぇ、わたしのアソコ見せたげる。ね、おじさん」 「僕は二十五。おじさんじゃないですよ」男が自分の頬に手を当て、少女の眼を覗き込んだ。 「じゃお兄さんさぁ」 「僕には君みたいな妹はいないもの」 「もう、いちいちうっせえなぁ。見たくないの？ 乙女のアソコ」 男はわずかに口元をほころばせた。 「終電乗り遅れ？」少女が訊ねた。 「恋人と待ち合わせ」 「じゃさ、見るだけじゃなくて恋人よりもっとすごいことしてあげるじゃん、あたし が」 「どんなこと？」 「バキュームフェラとか、まんぐり返しとか…」 「君さ、Ｈビデオの見過ぎじゃない？」 「お尻の穴でもいいよ」 「……。ああ、その、お金、そんなにほしいの？」 「そ、まとまったゲンキンいるの」 「バイトしなよ」男の目線が少女の肩越しに揺れた。 「いますぐ金が欲しいの」少女は男の隣に腰を下ろし、足を組んだ。太股に鳥肌が立っていた。 「真面目に働いたら？ 君、高校生？ じゃ勉強もしなきゃなんないでしょ？」 「勉強なんてのはね、大学行きたがってるガキがすんの。でお兄さんはさぁ、真面目に働いてる？」 「そう聞かれるとねえ」 「誰だってさチョーかんたんに金儲けしたいじゃん、だろ？」 「僕は給料だけでいいけど」 「欲しいモノ、ないのかよ」 「恋人のハートがあればいいの」照れたように微笑んだ。 「へ。バカ云ってないでさぁ、やろ？」 「あ、来た」サラリーマンが顔の横に手を上げ、小さく振った。 ほっそりした人影が足早に近づいてきた。 「あ」少女が呟いた。 「ごめんね、じゃ」サラリーマンが立ち上がり、人影に近づく。 手に手を取って遠ざかる二人の男を、少女は見送った。 「なんだよぉ。くそ」少女は立ち上がり、辺りを見回した。革ジャンの男はどこにも見えない。 「まったくよぉ、まともなオトコいねえのかよー」 少女はスカートの上から尻をなぜ回した。 「ヘーックショイ。あたしのパンツ…」 少女は両足を踏ん張り、両手で口を囲んで広場に向かい大声を張り上げた。 「マッチいりませんかー」 声は、曇天の空と、同じような色のコンクリートの間に吸い込まれ、あっけなく消え去る。ほとんどの人間が、少女を見ることすらしなかった。 「なんだよぉ、あたしったら、世界一寂しいノーパン女じゃねーかよー。あー、スースーする」少女は空を見上げた。星も見えない灰色の空に、埃が舞っていた。 埃は街灯の光の中にはいると、白く輝いた。 「雪」 少女は掌を上に向け、雪を受けた。雪は掌に着くとすぐ溶けた。 「あたしったら、何してんだろ」掌で次々に溶けていく雪を見つめながら、少女が呟いた。 「つまんねーの」 広場を出て、線路を潜るトンネルの方にとぼとぼ向かう。 「マッチ、いりませんかー」やけくそのような少女の声が、トンネルの壁に響いた。 トンネルのすぐ外に立てかけられたダンボールが、もそりと動いた。 （了） |
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